途夢風情感

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私と自由が丘〜スタートの御挨拶〜

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自由が丘の街に初めて足を踏み入れたのは80年代初の学生時代。
アルバイト情報誌を見て、履歴書を手に(今は無き)アンナミラーズを訪れたのだが、面接する以前に「今は、男の子は募集してないんですよね〜」の一言で一蹴される。こちとら、募集要項をしっかりとチェックした上で(電車賃をかけて)訪れた訳なのだが(因みに、アンナミラーズの女性従業員のユニフォームが「あんな」だとその時初めて知った)。
まぁ、私のこれまでの40数年の半生で唯一試みた髭面が仇になったのではないか、と今では分析しているのだが…。

バイト探しは翌日にすることにし、その午後、初めての自由が丘の街を歩き廻った。
大の映画好きの私にとって、名画座や二番館が幾つもあったこの街の風情が、今では、切なくなる程に愛おしい(その後、武蔵野推理劇場をはじめ、各館には通い詰めた)。
パチンコ店(三星)を覗いたら、他の街と違い、(若い)女性客が多かったのに驚いた記憶がある(当時は、「一般女性」がパチンコをやるにはまだまだ珍しい時代だった)。
勿論、貧乏学生の私はパチンコ店の中をただ素通りするだけだったのだけれども。

バイト先は、翌日、目黒にあったサーティワン・アイスクリーム本店(一号店)でしっかりとした面接を受け、髭面のままにもかかわらず、採用された(髭はその日のうちに剃った)。
自由が丘アンナミラーズがしっかりと落としてくれたおかげで、サーティワンで素晴らしき出逢いを重ね、当時のバイト仲間や社員とは四半世紀超の時を経た今でも交遊し続けている。

ところで、我が自由が丘にも駅前(みずほ銀行向かい)にサーティワンがあったことなんて、今の若いコ達は誰もご存知ないだろうなぁ…。サーティワンのアイス片手にカトレア通りを歩く女のコ達の姿、絵になっていました。

とにもかくにも、以来、自由が丘には映画鑑賞を中心に頻繁に訪れるようになり、魅力的なBARもひとつずつ知っていった(自由が丘に魅力的なBARが数多あることって、メディアで何故か語られないんですよね)。
80年代後半に、スポーツクラブ(ラケットボール)の仲間が欧風居酒屋(「Zio」という名店でした)を(緑が丘へ続く)グリーンロード沿いにオープンして以降は、共に自由が丘の街をこよなく愛する粋人達と親交を深めていきました。
その店(日々)の出逢いがきっかけで生涯の友人となった存在も数多。

グリーンロード沿いに、ヤマダ電機やお洒落なドーナツ店や食事処を目にすると、何もなかったあの頃を感慨深く思い出します。

秋の女神まつり、春のマリクレール祭りといったこの街ならではのユニークなイヴェントは、仕事を完全オフにして、様々な友人達とひたすら愉しみます。
とりあえずは、4月頭の「自由が丘さくらまつり」(グリーンストリート)を心待ちにしている次第。

そうそう、女神まつりの大きな目玉(ハイライト)であった「ギャルソン・レース」の復活を望むのは私だけでしょうか。諸般の事情があると思いますが、メイン・ステージの米軍のイカすビッグバンド演奏と共に是非甦って欲しいものです。
私にとっては、自由が丘とは、節度と良識を携えた大人が粋に遊ぶ街なんです。

長くなりましたが、そんな大人の想いを綴っていければと思っています。

宜しくお願いします。


途夢


自由が丘物語
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途夢b待人
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“女神の街”に80年代初から心寄せ続ける男の、「WJJ」(WINE,JAZZ,&自由が丘)興趣の随想録。
明日(次代)の風情&情感+感応(眩耀)に期して。
[2007.2.20-2011.5.17]
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