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三人が、銃を囲んで話合った、少し後。越後に


三人が、銃を囲んで話合った、少し後。越後にも、少し遅れて夏が訪れていた。1555年、夏。この頃、甲斐の武田家と越後の長尾家の国境は非常に緊迫した状態となっていた。一昨Content Marketing。初めて槍を交えた両家は、この年、二度目の戦を勃発させようとしていた。そう、歴史上名高い川中島の戦いである。昨年、関東の雄、北条家と、東海の覇者、今川家との甲相駿三国同盟を成立させ、後方の不安を払拭した武田家は、北に居座る長尾家に度重なる謀略の嵐を起こし、その成果として、北条高広を寝返らせた。しかし、武田家の謀略は、それだけには留まらず、信濃国善光寺(現長野県長野市)の栗田鶴寿(くりたひろひさ)をも武田家へ寝返らせ、善光寺平の南半分を勢力下に加えたのである。これにより、善光寺以北の長尾方諸豪族への圧力が高まったため、隼人との喧嘩の傷も癒えた長尾景虎(上杉謙信)は、善光寺奪回のため、兵8000を率いて善光寺平北部に出陣した。善光寺を治めていた、鶴寿は、この長尾家の進軍に、3000の兵と共に旭山城へ篭城。そして、景虎は旭山城の軍勢を封じ込めるため、前進拠点の葛山城を築くと、武田家側も、後詰(援軍)として川中島へ出陣。兵9000と共に犀川南岸の大塚に布陣した。


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