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駒沢のアイソトープ研究所

駒沢公園東端にある
アイソトープ研究所。
 
正式名称は
東京都立アイソトープ総合研究所といいます。
 
アイソトープは同位体。
 
放射性同位元素(ラジオアイソトープ)
をイメージする方が多いと思います。
 
ショッカーの研究機関のような
得体のしれない怪しさで、
 
いったいどんな施設なのか、子供の頃から
とても気になっていました。
 
それがいつの間にやら
広々した駐車場に様変わり。
 
ずいぶん前になくなっていたことに
いまの今まで気づきませんでした。
 
一度見学したいと思っていたので、
とても残念。
 
Webを調べてみたら、
アイソトープ総合研究所は
 
都立工業技術センターと併せ、
東京都立産業技術研究所に。
 
業務範囲は相当な
拡がりをみせています。
 
アイソトープ総合研究所
跡地の駐車場には
 
現在も研究所のモニュメントと


正面表示石が遺され、
不思議な雰囲気を醸しています。
 

なぜ遺してあるのだろうか。
ふしぎだ。
 
 
 
〜・〜・〜・〜  
 
《沿革》
 
1959年(昭和34年7月)東京都立アイソトープ総合研究所設立
 
1997年(平成9年4月)東京都立工業技術センターと東京都立アイソトープ総合研究所を統合し、東京都立産業技術研究所として発足
  
 
《東京都立産業技術研究所とは》
 
都産技研は、都内の中小企業に対する技術支援により、東京の産業振興を図り、都民生活の向上に貢献することを役割として、東京都により設置された試験研究機関です。
主な事業として、幅広い分野の技術相談(無料)、製品・材料の依頼試験・機器利用(有料)、製品化に向けた共同研究や技術開発のための基盤研究などを行っています。また、企業間の交流を支援する異業種交流会や技術に関するセミナーや講習会なども開催しています。(HPより引用)
   
 
〜・〜・〜・〜



駒沢 アイソトープ 研究所 同位元素
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「九品佛道」案内石


九品仏参道南門の脇に建っている
『九品佛道』案内石。
 
側面の矢印があらぬ方向を指し示しています。
 
あらぬ方向とは、九品仏浄真寺の入り口にあるのに、
なぜかお寺に背を向ける(お寺から出ていく)方向です。
 

ちょっと不思議な感じ。
 
この道標は元々どこにあったのだろう。
当初からあの場所だったのでしょうか。
 
背面には
「本龍山御嶽不動講 九品仏道案内石 明治四十二年七月吉日 東京浅草 発起 小林徳太郎」と刻んであります。
 

参道入り口のもう一本、
『禁銃猟 警視庁』石標にも似た記述。
 


こちらには
「明治三十二年十一月認可 東京浅草 施主 本龍山御嶽不動講 小林亀太郎」とあります。
 
 
九品佛道案内石表面の
「九品佛道(くほんぶつみち)」とは、
 
どうやら御嶽不動講の
九品仏ルートという意味のようです。
 
浅草から歩いて来て、
目印の九品仏でもお参りをして、
 
さらに木曽の御嶽山
目指したということでしょうか。
 
でも、講の途中で他宗派のお参り
なんてするものなのだろうか。
 
九品仏さんは浄土宗の古刹。
 
神社でも
御不動さんでもありません。
 
そう思っていたところ、
 
中公新書『山岳信仰(鈴木正崇著)』に
面白いことが書いてありました。
 
この本によると、
御嶽教は元は東京に本部を置いていて、
 
江戸でもかなりの
拡がりを見せていたようす。
 
御嶽不動尊は当初御嶽山にも
祀られていたそうですが、
 

その後大和に遷座され、
いまは彼の地にはないようです。
 
そして、御嶽信仰(神道系)とも
御不動さんとも違うのに、
 
なぜ御嶽不動講の石標を
浄土宗の九品仏に建てたのか。
 
文中から引用します。
   
〜・〜・〜・〜
   
浄土思想を基盤とする大峯山や熊野の影響は明らかである。『御嶽縁起』(延享五年 1748、開藤本)では「未来にては九品の浄土に生まれん」と記す。山中には賽の河原や地獄谷の地名が残り、極楽浄土と地獄が同居する山中他界である。(後略)

   
〜・〜・〜・〜
   
この記述から類推すると、
たまたま通過したのではなく、
 
九品思想を掲げている九品仏浄真寺へ
わざわざ寄る意味があったと考えたほうが
 
自然なのではないかと思います。
 
かつて御嶽山にあって
のちに大和に遷座されたという
 
御嶽不動尊の山号が
本龍山」だったらビンゴ。
 
大和のどこに遷座されたのだろうか。
興味深々です。
 
 
よろしければこちらの記事も。
 


九品仏  九品佛 案内石 御嶽不動 講
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九品仏の「禁銃猟」の石

東急大井町線九品仏駅を降りると
商店会が左右に伸びています。
 
左手信号先には
九品仏浄真寺参道。

その参道を入って右手に
「禁銃猟」と書かれた石標が建っています。
 

九品仏駅前交番に向き合うと
23時の方向です。
 
高さは成人男性よりも少し
低かったように記憶しています。
 
表面、側面には「禁銃猟 警視庁」、
 
背面の文字は
 
「明治三十二年十一月認可 東京浅草 施主 本龍山御嶽不動講 小林亀太郎」。
 
 
「禁銃猟」石標を見つつ、参道を
進んでいくとお寺の門に突き当たります。
 

この南門の右脇に、今度は
「九品佛道」という大きな道標が建っています。
 

一見関係なさそうな二本の石柱。
 
しかしこの石にも
 
「本龍山御嶽不動講 九品仏道案内石 明治四十二年七月吉日 東京浅草 発起 小林徳太郎」との文字が。

 
同じ本龍山御嶽不動講。
 
明治32年が小林亀太郎さんで、
明治42年が小林徳太郎さん。
 
親子なのかどうなのか。
詳細はわかりません。
 
しかし、浅草の有力な講元であろうことは
想像に難くありません。
 
御嶽不動講。
 
山岳信仰としての御嶽信仰は
不動明王と関係が深いようです。
 
本龍山御嶽不動講という響きからは、
 
神仏習合から分離の流れの中で
御嶽教などとの関わりも感じられます。
 
不動明王は講中(講のメンバー)を
守護するんだとか。
 
いつも「禁銃猟」の石を見ていて、
 
わたくしは、この御嶽が東急池上線の「御嶽山」
(御嶽神社)のことだと思い込んでいました。
 
でも十年に一度となると、石標の「御嶽」は
木曽御嶽山を指しているのかも知れません。
 
グーグルマップで調べたら、
 
浅草から御嶽山までは九品仏経由の
中山道ルートで300q・徒歩64時間と出ました。
 

意外と歩けそうな感じ。
 
面白い。
 
 
   
〜・〜・〜・〜
   
余談。
 
「禁銃猟 警視庁」の石は
寺域を囲むように複数ありますので、
 
元々の設置場所とほぼ
変わりないのではないでしょうか。
 
一方、「九品佛道」案内石のほうは、
側面の矢印があらぬ方向を指し示しています。
 

あらぬ方向とは、九品仏浄真寺の入り口にあるのに、
お寺に背を向ける(お寺から出ていく)方向です。
 

ちょっと不思議な感じ。
 
この道標は元々どこにあったのだろう。
当初からあの場所だったのでしょうか。
 
この「九品佛道(くほんぶつみち)」とは、
御嶽不動講の九品仏ルートという意味のようです。
 
浅草から歩いて来て、
目印の九品仏でもお参りをして、
 
さらに御嶽を目指すというなら分かります。
 
でも、講の途中で他宗派のお参り
なんてするものなのだろうか。
 
九品仏さんは浄土宗の古刹。
御不動さんでもありません。
 
今回は分らないことばかり。
 
そのうち池上線「御嶽山」駅の御嶽神社へも、
足を延ばしてみようと思います。

 
よろしければこちらの記事も。
 
 





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世田谷区立郷土資料館『大館蔵品展』

平時のボロ市通りは幅広く静かで、
なんとなく殺風景です。
 

ボロ市通りの旧大場代官屋敷。
 

(代官屋敷向かいにある世田谷信用金庫の理事長も
「大場」さんだったりします)
 


屋敷内の奥まったところには、
世田谷区立郷土資料館があります。
 
その世田谷郷土資料館では、開館50周年の
『大館蔵品展』を開催中(2014/11/01〜12/07)。
 

常設展からは大きく展示替えをしてあり、
とても新鮮です。
 
世田谷のお宝は
見たことないものばかりで面白かった。
 
縄文土器類では九品仏商店会横の遺跡
(奥沢台遺跡)から見つかった注口土器や
 

奥沢駅近くの諏訪山遺跡出土の
立派な深鉢もありました。
 
深鉢は長野あたりの縄文土器にも似た
デコラティブな土器。
 

とても見栄えがします。
 
あれは奥沢で焼かれたのでしょうか。
それとも流通してきたものなのだろうか。
 
興味深い品です。
 
それから、小田原北条早雲が三男、
北条幻庵作と伝えられる一節切(ひとよぎり※)。
 

幻庵を通して北条早雲の存在を
感じられるようでちょっと嬉しかった。
 
11月29日(土)には
実際に演奏してくださるとか。
 
そして、勝海舟の額『雲氣静』はわりと繊細な印象。
 

江戸城の無血開城を行った
寝業師という感じはしません。
 

「雲高くして気静かなり」と読むらしい。
雰囲気がありました。
 
『大館蔵品展』。
世田谷線散歩のついでにのぞくと意外な楽しさです。
 


 
※「一節切は、尺八の前身といわれる日本の伝統楽器で、室町時代に中国から伝わったといわれています。小田原北条氏の幻庵宗哲は、一節切づくりの名人として天下に知られました(資料館資料より引用)」


世田谷 郷土資料館 大館蔵品展 2014
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奥澤八幡裏手の「八幡前」


世田谷区発行の古地図。
区役所で販売しています。
 
昭和4(1929)年版の古地図には、
奥澤神社が八幡神社と書いてありました。
 
それに伴い奥澤神社西側が
「八幡前」という字名になっています。
 
あれ? 前ですか? 
 

奥澤神社さんの入り口(鳥居)は
現在も東南の角で東を向いています。
 
鳥居の前(東南側)ならともかく、
なぜ西側が八幡前なのだろうか。
 
西側は前というよりも、むしろ
八幡さまの裏手になります。
 
元々奥澤八幡社は奥沢城の築城の無事を願い、
奥沢城(現在の九品仏浄真寺境内あたり)東の丘の上、
 
日の昇る方角に源家(足利、吉良)の守護たる
八幡を勧請したものといわれています。
 
それから類推すると「八幡前」とは
八幡様の前でなく、
 
奥沢城から見て八幡様の手前という
意味なのかも知れません。
 
奥沢城由来の字名はかつて、
 
城前(しろまえ・九品仏駅前あたり)、
城向(しろむかい・九品仏東隣)などがありました。
 
こういう地名は当時の地域の中心(ランドマーク)を
感じる濃厚な手掛かりになります。
 
たまには古い地図を見るのも、
気づきがあって案外楽しいもの。
 
見渡してみれば奥沢駅は「をくさは」、
自由が丘駅が「じいうがをか」なんて表記も
 
時代感があって、
ちょっと泣かせます。


奥沢城 九品仏 奥澤神社 八幡前 源家
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Master Rocca
プロフィール公開中 プロフィール
自由が丘・九品仏駅から7分の床屋さん、理容六花です。
髪の毛を切る、ただそれだけで気持ちが軽くなるのはなぜでしょうか。
床屋さん、自由が丘、美術館に読書。興味の向くままに、まとまりなく綴っています。
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スマートフォンの方もパソコン版が読みやすいと思います。PC版は自由が丘ブログTOPページからお入りいただけます。
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