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自由が丘のオオカミ屋敷

平岩由伎子編著
『狼と生きて 父・平岩米吉との思い出』。
 

自由が丘3丁目で、かつて
狼の飼育が行われていたことをご存じでしょうか。
 
白日荘と名づけられたそれは、犬類の研究者
平岩米吉の自宅兼研究施設(犬舎)です。
 
周囲ではオオカミ博士の
オオカミ屋敷とも呼ばれていたようで、
 
「幼い時分は危ないから
あの屋敷に近づいちゃだめだといわれてた」
 
なんていうご近所の話はとても面白い。
 
米吉は亀戸、駒場ときて、
昭和4年に自由が丘(荏原郡碑衾町衾)へ。
 
そこでは、狼、ジャッカル、狸、狐、朝鮮山猫、
ハイエナ、麝香猫(ジャコウネコ)、栗鼠、
 
シェパードほか日本犬などを飼育研究していました。
 
いくら昔とはいえ、
自由が丘の一等地に一千坪は大変なもの。
 
とても富裕なご様子から、
 
平岩米吉は平岩外四(愛知県出身・経団連会長)の
親戚筋かと噂されることもあります。
 
米吉の先祖は元々、三河・岡崎の在所平岩の出で、
家康に附いて江戸にきたそうです。
 
一族の中には商いに長じた方もいたようで、
桐材、竹材、薪炭を扱う竹問屋上総屋を興しました。
 
上総屋(かずさや)は、
東京府南葛飾郡亀戸村大字亀戸一八四六番地。
 
現在の江東区亀戸6丁目になります。
 
一方、
平岩外四は愛知県常滑市のご出身。
 
同県人。親戚というか、
ご近所さんくらいの近さでしょうか。
 
外四(がいし)との関わりはさておき、
米吉の周りにもすごい人がたくさんいます。
 
交友関係には南方熊楠、柳田国男、折口信夫。
北原白秋、室生犀星に、まど・みちおなんて名前も。
 

この本は米吉のご長女由伎子さんの
編集著作となっていますが、
 
母・佐與子さん、父・米吉の随想とともに
まとめたもの。
 
いわば三人の合作です。
 
それぞれのお人柄が感じられ、
また、穏やかな暮らしぶりも伝わってきます。
 
 
三千坪ほどもあったという亀戸の家は、
稲荷神社を移した築山と元の池の一部が寄贈され、
 
現在は江東区立亀戸“平岩”公園
(江東区亀戸6丁目47-12)になっているそうです。
 
(写真はストリートビュー)
 
一度足を延ばしてみようと思っています。


平岩米吉 平岩由伎子 狼と生きて 自由が丘 オオカミ博士
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今日は有難うございました。
お話しした本は、『愛犬王平岩米吉伝』(片野ゆか著・小学館)です。内容とは無関係ですが少し辛口にいうと、天下の小学館ですからもう少しちゃんと校正して欲しかった本です。内容はとても面白かった。

[ gibbon ] 2014/06/14 20:28:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

gibbon さま。こちらこそ有難うございました。

「白日荘」の件では、
こんな偶然もあるものかと本当に驚きました。

関心事を共有する楽しさを
今更ながらに感じております。

『愛犬王平岩米吉伝』は
いつかわたくしも読んでみたいと思います。

お教えいただいてありがとうございます。


>内容とは無関係ですが少し辛口にいうと、
天下の小学館ですからもう少しちゃんと校正して欲しかった本です。

↑↑これには思わず笑ってしまいました。

[ Master Rocca ] 2014/06/15 0:07:50 [ 削除 ] [ 通報 ]

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東京の古地図を見てみたら


お借りした東京都の古地図
(明治25年製・復刻版)を眺めていたら、
 
『海軍火薬製造所』や『海軍火薬庫』なんていう
機密施設が普通に載っていて驚きました。
 
二年後の明治27年には、
日清戦争が始まります。
 
そういう時節柄の一般向け地図に
重要施設を載せているなんて。
 
狙われたりしないのだろうか。
 
このあたりの大らかさは、秀吉の昔から
兵站意識の希薄な日本の伝統なのでしょうか。
 
海軍火薬庫は今の地図にはめてみると
どうやら東京都庭園美術館になるようです。


 
首都高速2号目黒線が
江戸府内と府下を隔てるように走っているのも面白い。
 
そして海軍火薬製造所のほうは
地図からは中目黒村の「由道」と読めますが、
 
東横線中目黒駅から目黒川下流の
「田道(でんどう)」だと思います。


 
こちらは現在の防衛省防衛研究所あたり。
 
(Googleマップでは
防衛省技術研究本部艦艇装備研究所とある)
 
目黒にそんな施設があったとは
知りませんでした。
 
好きだなあ。
昔と今のつながってる感じ。


目黒 海軍火薬製造所 防衛研究所
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富士と九品仏

めぐろ歴史資料館を訪れると、
たくさんの道標(石標)が出迎えてくれます。
 

その中に興味深いものがありました。
 

 

それは「右 九品佛道」という道しるべです。
くほんぶつみち、と読むのでしょうか。
 

 

道標側面上部の「Λ」マークから
富士講に関係したものと判断できるそうです。

 

 

元々、

道標のあった場所は自由が丘3丁目。
 

自由が丘にも富士へ続く
道筋のひとつがあったということ。
 

九品仏浄真寺は世田谷区なので、
目黒区の歴史資料館で出逢うとは思いませんでした。
 

 

自由が丘3丁目の道標といえば、

 

ザ・ガーデン近くにある
『九品仏名号題目道標(自由が丘3‐1‐1)』が有名です。
 

 

 

「左 九品佛 江」と似たような表記ですが、
こちらは九品仏浄真寺参詣への道しるべ。
 

めぐろ歴史資料館のものはたぶん、
富士宮の浅間神社につながっていたのだと思います。
 

九品佛道とは目黒通りなのか、
それともまた別の道なのか。
 

ちょっと調べてみたくなりました。



目黒 めぐろ歴史資料館 富士山 富士講 九品佛
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めぐろ歴史資料館

世田谷吉良氏が、目黒区自由が丘や
都立大学を所領としていたためか、
 
それとも同じ
東急沿線の気安さからか、
 
世田谷区民のわたくしも
目黒にはとても親近感を感じています。
 
「みる・しる・あそぶ」
歴史をたどる時間旅行をする資料館。
  
目黒区めぐろ歴史資料館を楽しんできました。


 
めぐろ歴史資料館は、縄文から
中世・近世・近現代までを追体験。
 
遠い時代の目黒がわたくし達の
足元につながっているという、
 
その連続性はとても楽しいもの。
 
目黒58ヶ所の遺跡から発掘された
縄文土器の質(デザインと仕上がり)には驚きました。
 
ティーポッド(急須?)様の縄文土器は
釉薬をかけたら益子焼に似ているかも。


貝の化石の中にツメタガイ
(写真奥中央の丸い巻貝)がありました。

 
ツメタガイは千葉など潮干狩りの海で
大発生しているアサリの天敵。
 
不味い貝だといわれています。
 
古代人はどのように味わったのか、
できることならお尋ねしてみたいものです。 
 
 
その他にも、地名「碑文谷」の由来といわれる
(現在は異説あり)碑文石の複製や、


世田谷吉良氏七代頼康の印判状。

 
目黒のタケノコや鷹狩りのことなど、
幅広く展示されています。
 
 
めぐろ歴史資料館でわたくしが一番驚いたのは、
 
目黒新富士塚(文政2・1819)で平成3年に見つかった
胎内洞穴と大日如来坐像(文政3)。

 
戦争でも、高度成長、
狂乱バブルでも損なわれず、

高台の関東ローム層で
平成の世まで眠っていたなんて・・。
 
すごいなあ。
 
らせん状に掘り下げられた洞穴は
大人が立って歩けるほどの大きさ。
 
大日如来像は何故か
祠(ほこら)に安置されておらず、
 
祠前の地面に埋められていました。

 
あれだけ大掛かりに横穴を掘って、
誰にも知られないはずはありません。
 
大日如来像が埋められていたのも、
洞穴の存在が風化していたのも、
 
単なる偶然ではないような気がします。
 
宇宙を司る大日如来。
 
富士講では、
富士山のご本尊と目されていたようです。
 
資料館の仏像は彼の正面に立ち、目を合わせると
にっこり微笑みかけてくれます。

 
笑顔の大日如来像は
今まで見た記憶がありません。
 
とても穏やかなお顔で
円空仏を思い出しました。

 
思わずわたくしもにっこりしてしまい、
 
こちらが「見ている」のではなく、
実は向こうから「見られている」のだと気づきました。
 
 
めぐろ歴史資料館は旧目黒第二中学校一階。

 
訪れてみると学校そのままで、
地域拠点のひとつとしても利用されているようです。

 
これからの夏休み。
歴史資料館は調べ学習のヒントも満載です。
 
 

結びに。
お忙しい中、展示見どころを丁寧にレクチャーくださった知的な学芸員Kさん。こういう方に教えてもらえるなんて、目黒区のお子さんは本当に幸せだなと思います。
お時間を頂戴したため、業務のお邪魔をしてしまったのではないかとすこし気にしております。有難うございました。
ひと言御礼申し上げます。





目黒区 めぐろ歴史資料館 郷土資料
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九品仏でお面かぶりが行われたワケ

世田谷南部の名刹、九品仏浄真寺。
 

3年に一度行われるお面かぶり(※1)は、
今年(2011年8月16日)も大変な人出だったそうです。
 

「おめんかぶり」は二十五菩薩来迎会(らいこうえ)といい、
九品思想を具象化した行事です。
 

西向きに建てられた本堂から、

向かいの上品堂へ橋を架け、
 

阿弥陀さまが信者さんを西方浄土へと、

迎えに来る様子を表しています。

 

そんな「おめんかぶり」は、

なぜ浄真寺で行われてきたのでしょうか。
 

全国でも珍しく、関東ではここだけという大掛かりな行事。
わたくしは以前より不思議に思っておりました。

 

その発端は知る術もありません。
 

しかしながら、ひとつの「道しるべ」が当時の気分を教えて

くれている。そんな風に感じています。

 

その道しるべは自由が丘の坂の上。
 

学園通りを上がり、スーパーマーケット「ガーデン」を
左折して、すこし進んだ左手にあります。

 

目黒通り沿いにある

九品仏名号題目道標」という石の標識がそれで、
 

浄土宗の信者さんが九品仏参りの道しるべに建てたそうです。
 

左 九品仏 江(ひだり くほんぶつ へ)」と書いてあります。
 

小田原の北条氏が秀吉に亡ぼされるまで、
自由が丘(衾村)は世田谷吉良氏の領地でした。
 

その衾村(ふすまむら)は

昔から日蓮宗の盛んな土地だったそうです。
 

その理由はやはり池上本門寺が近いからだと思います。
 

目黒区の記述にもありました。
「区内の道しるべで、最も頻度の高い地名は「池上」である。これは日蓮宗の寺として知られる本門寺の方角を指している(目黒区HP)」
 

そんな日蓮宗の充満した土地をぬけて、

九品仏(浄土宗)にお参りする。
 

なにせ念仏無間(※2)ですから、
信者同士の摩擦の大きさは想像に難くありません。
 

衾の村人に道しるべを隠されたり壊されたりしないように、

浄土宗の道しるべに「南無妙法蓮華経(日蓮宗)」を
刻まされたのだと思います。
 

道標脇の説明板には以下のように書いてあります。
『九品仏名号題目道標(くほんぶつみょうごうだいもくどうひょう)自由が丘3−1−1
この立派な高台座付丸彫地蔵像塔は、遠い江戸からの病気平癒祈願などで九品仏浄真寺へ参詣する人たちのための道標でした。
正面に=左九品仏江、右面=南無妙法蓮華経、左面=南無阿弥陀仏、背面=為進誉昇安楽邦居士二世安楽也、于時寛保四年甲子二月十四日立、
地蔵像蓮座には明治十九年九月吉日施主延命寺とあります。
この碑を建てたのは九品仏で有名な浄真寺にゆかりのある浄土宗の信者ですが、
日蓮宗信者の多い衾村の地に道標を建てるので「南無妙法蓮華経」の文字を刻むことを承諾させられたのだと言い伝えています。
元禄のころには近くの寺郷あたりに九品仏詣での人の立ち寄る茶店や念仏信者の講宿も軒並みにあったそうです。
平成4年3月目黒区教育委員会』

 

また目黒HPには以下のようにありました。
『九品仏名号題目道標
自由が丘三丁目1番1号 寛保4年(1744年)建立
施主は九品仏の浄真寺にゆかりの浄土宗信者だが、碑衾地区は日蓮宗信仰の盛んなところであったため、右面に「南無妙法蓮華経」、左面に「南無阿弥陀仏」と刻まれている』

 

その上、九品仏浄真寺の建つ場所は奥沢城跡地で、
 

衾村の隣(玉川等々力村)に住む奥沢城ゆかりの人々

(旧奥沢城主や家臣のご一統)だって面白いはずがありません。

 

そんな完全アウェーの中で信者を増やすには、
 

字の読めない者でも見ればわかるような大掛かりな
舞台装置が必要だったのではないでしょうか。

 

とてもきらびやかで、
衾や等々力の村人たちも華やかに感じたことでしょう。
 

信者の増加は寺の経営面だけでなく、

周辺との摩擦も解消してくれます。
 

九品仏浄真寺の「おめんかぶり」。
信者の一挙獲得を狙った強烈なプロパガンダだったと思います。

 


 

(※1)九品仏さんは「おめんかぶり」とひらがなで表記しています。


(※2)念仏無間(ねんぶつむげん)は、念仏=浄土宗なんぞを信じてると無間地獄へ落ちるぞ、ということ。

 

 

目黒区HP https://www.city.meguro.tokyo.jp/smph/kurashi/gakko/bunkazai/keihatsu/bunkazaimegurihusuma.html 


  

〜・〜・〜・〜

 

(2014,06,23 追記)

 

「左 九品仏 江」の石標はマンション工事に伴い、目黒通りの角から住宅地のほうへ(南側へ)数十メートルばかり移動しました。写真は北向きに撮ったもので、奥に横切っているのが目黒通りです。

 




九品仏 お面かぶり 道標
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自由が丘・九品仏駅から7分の床屋さん、理容六花です。
髪の毛を切る、ただそれだけで気持ちが軽くなるのはなぜでしょうか。
床屋さん、自由が丘、美術館に読書。興味の向くままに、まとまりなく綴っています。
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