途夢風情感

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://jiyugaoka.areablog.jp/WIJAGAOKA

FOR HUMANITY 〜ヒーロー無き時代だからこそ〜

[moblog]
FOR HUMANITY 〜ヒーロー無き時代だからこそ〜

いつもながら、病院では待たされる。
幾つかの検査と待ち時間を併せて、5時間近くにもなった。
病院にいる間は携帯電話は使わないし、その後の仕事でも特に支障がないと判断し、、今月5日目の「意識して携帯電話を持ち歩かない日」とした。
待たされると判っていたので、書籍は2冊を仕事鞄に入れた(待ち時間と電車移動の間に一冊半読んだので、翌二日目も新たな一冊と併せて2冊持参予定)。
TVが設置してある待合スペースでは、ニュージーランドの大地震のニュースが流れる度に本を閉じ、注視していた。
その際、周囲を見回すと、携帯電話の画面を凝視し、操作している人達の多いこと。
廻りには「携帯電話の電源はオフに」といった注意書きが幾つも表示されているというのに。
彼等にとって、彼方で被災に遭っている方達の安否や祈りよりも、親しい存在とのメールのやり取りや「今、病院にいま〜す」と呟くことの方がこの今の生の一時の大切な用件なのだろうか(例え、マナー違反をしようとも)。

時間が空く度に、携帯電話を手にせずにはいられなくなる。
私には、これはもう病気にしか思えないのだが…。

電車の優先席に腰掛けてでも携帯電話を手放すことが出来ない「健康」な人々。
スクールゾーンや子供達の目の前でも平気で信号無視が出来る「忙しい」人々(彼等の大半は特に急ぎの用があるように思えないのだが…)。

気がつけば、この国の未来を担う子供達の範とならなければならない存在が、「皆がやっているから」とばかりに、社会のルールやマナーといった約束事をどんどん蔑ろにしている。そのことに後ろめたさを持たない(大概、何らかの「理由付け」を自身に与えているようだ。「携帯電話使用」を筆頭に)。
本人の考える心、判断する頭は何処に置いてきぼりにしてしまったのか(因みに、「忙」は「心を亡くす」と書くのだが)。「これではいけない!」と察知する力をもたらすはずの五感さえ押し殺す。
そんな人々の姿は、私には「進化」というよりも既に「退化」そのものにしか映らない。
子供達の前で穏やかな微笑みを浮かべて、信号が替わるのを待つことが出来る女性こそ(グルメを気取るだけの向きよりも遥かに)「豊か」であり、そのような人生を歩んでいる存在(母性)なのだと私は思う。

進歩に頼り、依存することにより、果たして、我々はいったい何を逸していったのか。
病院の最先端の検査を受けながら、そんなテツガクなんぞをしていた。

北海道にいた頃は己れの中の「野性」を意識していたはずなのに、長い東京の生活でそれは私の中に見えなくなってしまった。
モノや技術に頼る暮らし。
こんなにもヤワな心身だったのだろうか、と思う機会が多くもなった。
人間としての「尊厳」だけは守り抜いて生きていたい。
時代が急激に変わり、価値観が様変わりする今日、その想いがいっそう強くなっていく。


合唱をやっていた頃も、舞台に立っていた頃も、高らかに声を発していた。
が、気がつけば、声を高らかに発する機会は皆無になってしまった(カラオケでさえ、この4年程で昨年の花見シーズンの一度くらいだと思う)。
大いなる自然の中に騒々しさを持ち込むことは私の流儀に反するが、果てのない草原や海原の中で、あるいはそれらに向かって、ただひたすら声を張り上げて何事か発してみたい欲望に駆られることがある。
その時、私は、大いなる存在に対してどんな言葉を投げかけていることだろう。
それは、私が考えても考えても判らない「問い」でもあるような気がするのだ。


写真は、思わず立ち止まってしまうことの多い、カトレア通り×南口緑道沿いのバッグ専門店『BREE』のウィンドウ。
1月末に撮ったものなので、もう替わっているかもしれないが、数字抜きの「%」にいつも惹き付けられる(「%」が表から見て逆向きに見えるのは意識してなのだろうなぁ)。
そして、「%」が、ウルトラマンの顔以外の何モノにも見えなくなってしまう。
1月末にして「SPRING COLLECTION」の文字。
女性にとってのバッグは、季節を先取りしていくアイテムなのかもしれないなぁ。

私の場合、服装のコーディネート(色合い)によって、3種の仕事鞄を使い分けているのだが、その内のひとつのデザインが(特に女性達に)評判が良い。
相当にしっかりとした革張りなので、一生モノだと思っている。
が、季節が替わり、温かくなって、服装も身軽になっていくと、(齡相応の品質と見映えを保ちながら)ソフトな雰囲気を醸し出すバッグが一点あっても良いなぁ、なんて思う。
なかなか、服装の所有アイテムとイメージが合うような「これは!」と思うものに遭遇出来ないので、新たな仕事鞄になるには至らないのだけど。

仕事鞄といえば、その中に欠かせないアイテムとして、私の場合、筆記具やメモ帳や原稿用紙(200字詰と400字詰の2種)等の他、欠かせないのが電子辞書。
『広辞苑』が収録されているのが大きいのだが、実は、自宅のライティング・デスクで原稿を執筆する際には、電子辞書は殆ど用いらない。
『広辞苑』にしても、英語辞書にしても、ライティング・デスクの書棚に常時置いてある書籍ヴァージョンを取り出しては、引くことにしている。
どんな便利な世の中になっても、この流儀は変えないと思う。
「電子辞書(或いはインターネット)があるから」と、本来の形の『広辞苑』を引く手順を面倒に感じた時点で、私はきっと何かを逸していくのだと思う。
勿論、逸することに躊躇わない生き方もまた進化と言えよう。
でも、私にはそれがむしろ「能力の衰え」、退化に思えるのだ。
国語辞典を引いた時、目的の語だけでなく、その周辺の語にも目を向ける。
それには、「行間を読む」のと同様の価値があると私は解している。
そして、我々も「霊長類ヒト科」としてではなく、あくまでも「人間」として進化していくべきなのだと思う。


私は、明日もまた、被災している彼の地に思い馳せつつ、病院の待合室で2冊の書物の行間を読もうとすることだろう。
有れば有ったで役に立つ程度のアイテムを、ルールやマナーを遵守した上で、携えつつ。
主役は自分自身であり、そして、目の前に在る一人一人の他者自身。その関係性が進行形で在り続けてこその(同じ時は存在しない)「生」の尊重(趣き)であり、「人間」という存在ではあるまいか。
それを忘れ、バランス感覚と距離感を逸して、簡便グッズにイイように弄ばれているようでは、もはやそれは(自律する存在としての)「人間」とは言えまい。


自由が丘キャラ
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10369938c.html
FASHION トラックバック( 0)

■同じテーマの最新記事
IN THE STILL OF THIS THREAD AND THRUM
タフでなければ女は生きていけない(多分、昔も今も)
「和モダン」をめぐる一考察
  1  |  2  |  3    次へ
  
このブログトップページへ
途夢b待人イメージ
途夢b待人
プロフィール公開中 プロフィール
“女神の街”に80年代初から心寄せ続ける男の、「WJJ」(WINE,JAZZ,&自由が丘)興趣の随想録。
明日(次代)の風情&情感+感応(眩耀)に期して。
[2007.2.20-2011.5.17]
今日 合計
ビュー 25 3304947
コメント 0 828
お気に入り 0 30

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<

外苑東クリニック
東京 人間ドック